鎌倉峯山は山桜の巨木の群生地です。山桜を後世に残す活動中

鎌倉峯山の会

峯山と散策路の変遷

 

      峯山と散策路の変遷 その(1)

          (2016年~2020年)

2020.6.8     藤井能成

1、はじめに

鎌倉峯山の会のホームページの「峯山散策路案内図」を示しますので、これを参照しながらご覧ください。

散策路とその周辺の整備を始めたきっかけは、2016年の暮れに現在峯山の会の代表をされている ぜんさん から「峯山の散策路が荒れていて保育園児達が怪我をする危険がいっぱい、道を塞ぐ倒木の下を潜り抜けたりしている、一緒にやらないか」と誘われたことです。2017年1月から始めました。当初はヤマザクラの巨木が群生する素晴らしい里山の中の道になるとは想像できませんでした。その頃のイメージが残っている写真を使って昔はどんな山だったのか振り返ってみました。

 

2、殿入り口ルートの尾根路

最初に始めたのは殿入り口ルートの尾根路でした。Fig.1は笹を刈り取り見通しがよくなったところです。道脇には侵食した笹などを切った跡があり、鋭い先が子供たちの顔の高さで非常に危険でした。Fig.2は今の様子です。樹名板も立てました。Fig.3は鎌倉武士(もののふ)隊等の人達が道を塞いでいた巨大な倒木を始末してくれて3年越しで通れるようになった峯山下の道です。

3、梶原口ルート

次に行なったのは梶原口からの登り道です。Fig.4は歴史的風土特別保存地区の標識の所から見上げた当時の写真で、Fig.5は今年の状況です。ここから少し登ると広場に出ます。この辺りから富士山が見えるはずだということで西側の篠竹の藪を切り開くとFig.6のような富士山が見えるようになったので、富士見台と名付けました。

4.尾根路ルートの手入れ

次いで峯山下から八雲神社へ通じる三叉路との間の尾根路の整備を進めました。Fig.7は道を広げた後の当時の写真、Fig.8は今の様子です。道の左(南)側はFig.9のような竹藪で手を付ける前はFig.10の様な道でした。

 

 

またこの辺りで ぜんさん から「藪の向こうには海が見えるはずだ、人が通れる位の幅で切り開いて見たい」と言われました。しかし、どっちに向かえばよいのか見当もつかなかったので直ぐには手をつけませんでした。

“汐見台”となった経緯は後で紹介します。

 

 

 

 

5、峯山広場 

殿入り口ルートから散策路の尾根路と合流する分岐点まで登って来ると右手に大きなヤマザクラ(樹齢約150年)が姿を現します。

Fig.11はこの樹の所から峯山の南側斜面を見上げた写真です。花が見当たりませんが大きな樹は全てヤマザクラです。「ヤマザクラは“鎌倉市の木”だというのに、このままにしておいたらヤマザクラがみんな枯れてしまいそうだ、根元まで道を作って蔦を切り周りの笹を刈ってやりたいな」ということで、峯山を覆う藪を切り開くことになりました。

まず、作業を続けるための根拠地を作りました。分岐点手前の左側が平坦だったので、篠竹を刈って50坪くらいの広場をつくり、倒木を切って真竹を縛って並べたベンチを置いて、峯山広場としました。散策路には休める場所がなかったので、園児や先生たちもこの小さな広場をさっそく遊び場と休憩場所にしました。

Fig.12は峯山広場の一本橋の所の写真です。Fig.13は同じ場所を今年撮ったものです。一本橋は子供たちが遊べるようにスギの丸太を拾ってきて作りました。Fig.14は広場を見下ろした写真です。茶色の地面は後から篠竹を切った所で、1年たっても草はほとんど生えてきませんでした。後方の緑の壁が辺り一面密生していた篠竹の藪です。

Fig.15と16は広場の下を開く前と後の写真です。クワの樹の右奥にヤマザクラの巨木群が写っています。

6、峯山の山頂へ

Fig.17は藪刈り前に峯山広場から山頂の南西斜面を撮った写真です。Fig.18はほぼ同じ所から最近撮ったものです。篠竹やアオキが繁茂していた様子が分かると思います。

 

Fig.19と20は篠の竹伐採を始めた頃の分岐点と山頂方向の写真です。殿入り口ルートと尾根路が合流する辺りはFig.19のような状態でした。作業路はこの写真の左側の二又のヤマザクラの下から散策路にほぼ平行に切り開いて進みました。

 

Fig.21と22は今年の写真です。台風で折れた枝にも花が咲いていました。Fig.23は、当時のものではありませんが、篠竹の密生した藪を最初に切り開く時の様子をこの写真から想像してみて下さい。

 

 

峯山の藪開きに取り掛かった頃、心強い仲間が増えました。しまちゃん と じゅんちゃん です。マウンテンバイクを趣味としており、逗子や葉山の山道の保全にも参加しているそうです。Fig.23のように1mほど切ると一抱え位の篠竹が出ます。運び出さないと先に進めませんが、彼らに大変助けられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Fig.24は山の向こうには海が見えるはずだと彼らが頑張ってくれた結果初めて見えた景色でした。

Fig.25は山頂中央に聳えているヤマザクラの巨木です。見つけた当時は太い藤ツルが巻付いていて、大蛇が巻付いているように見えたので“オロチザクラ”と呼ぶことにしました。Fig.26は今の様子です。

 

オロチザクラの南側にはさらに大きなヤマザクラが出てきました。Fig.27が発見した時の写真で、Fig.28は今の様子です。幹まわり320㎝、樹齢約270年、“将軍桜”と呼んでいます。

 

Fig.29と30は今年開花したオロチザクラと将軍桜の姿です。花つきは3年前より断然よくなって、濃いピンク色の花でした。

 

 

将軍桜の下の斜面の枯れ木や倒れ掛かっていたヤマザクラを切り倒すと、富士山が見えるようになりました(Fig.31)。富士山が良く見える位置には丸太を組んだベンチを置きました。

ところでこの頃また強力な仲間が一人参加してくれるようになりました。しょうちゃん です。彼のお蔭で山頂の南東側の斜面のヤマザクラの群落を囲む真竹や篠竹が短時日で除伐され(Fig.32)、逗子や葉山もよく見えるようになりました(Fig.33)。空気の澄んだ日には三浦半島の先端まで見えます。Fig.34は山頂を覆っていた藪をすっかり除伐した後の峯山の姿です。

7.汐見台

「4.尾根路ルートの手入れ」で道の南側が1m先も見通せない竹藪だったと書きましたが、Fig.35は去年の春の景色です。汐見台の下の竹藪を除伐したら、正面は打越の家並、左手を見るとFig.37の様に葉山方面の海が通り見えてきました。ぜんさん の言って通りでした。そこで汐見台と呼ぶことになったわけです。

Fig.38はFig.36の右手を見た景色です。Fig.39は同じ場所の崖下の真竹を切った後の景色です。写真の左端に琵琶苑住宅が見えます。Fig.40は三叉路のすぐ上の丘ですが、竹を処分していたら“大丸”という標識が出てきました。桔梗山、峯山、大丸山と3つの丘からなる常盤山の西端の頂でした。ヤマザクラが2本姿を見せました。崖下や三叉路の上のヤマザクラを元気にしてやろうと しょうちゃん と たかちゃん が頑張ってくれた結果です。

8.こかげ道

Fig.41は西側のこかげ道のこもれび広場、Fig.42は東側の峯山下のこかげ道の様子です。西側から東側にかけては ともさん が、峯山山頂下からの東側は いしさん が、こつこつと造ってくれました。梶原口ルートの尾根路の下側の林の中に半ば埋もれた道があり途中で消えていました。そこで、八雲神社ルートの尾根路を超えて、峯山下の雑木林まで木蔭伝いに歩けるようにと切り開いたものです。

9.おわりに

峯山散策路が今のようになるまでの経緯をまとめてみました。2017年の初め頃の状態を写真に撮って記録してこなかったのが何とも残念です。戦後すぐの航空写真を見ると谷筋を除けば樹木は無く、尾根筋は畑に利用されていたことが分かります。その後放置されてクワの木は巨木に成長し、侵食してきた真竹や篠竹が全山を覆っていたと思われます。藪を開いた直後は草も虫も小動物も、やぶ蚊も見かけませんでしたが、最近は様々な草花が増え、藪の下で細々と耐えていたお茶の木も伸び出し、ミミズ、蝶やトンボ、ウグイスやホトトギスなどの小鳥も多くなってきました。里山らしい生態系が復活してきたと実感しています。

 

*補記

2020/6に、のうせいさんこと藤井能成さんがまとめてくれた労作、峯山と散策路の変遷を皆さんに印刷配布しました。
この原稿を、その(1)編としてHPに掲載することにしました。
理由は、会の活動は今後も継続するので、続編を期待するからです。
活動内容も、女性会員が増えている上に、NPO法人やまもりとの協働活動が始まるので多岐に亘りそうですし、また、まちむら機構がらみの作業が来年から峯山南面に展開されて様子がかなり変化してきます。これらの変化を継続的に記録して(2)(3)編を作成できればと考えています。
カメラマン、コテツさんに期待するところ大です。   2020/7/30   吉田善作
なお、トップの地図は最新版のものに修正してあります。